生きていくしかないということが一番無理

ここ最近なにかが足りていない感じがあって、その欠けているものが何なのかということをずっと考えてる。子供の頃は喜怒哀楽というか感情の境目がはっきりしていたから、うれしいとき、楽しいとき、怒ってるとき、悲しいとき、別になんともなく大丈夫なとき、みたいな感じでその時々の感情を5パターンくらいにちゃんと区別できた。大人になってから、楽しい!とかうれしい!と思うのは本当にただの一瞬になってしまったし、それが長続きしたとしてもその後に深い悲しみだったり怒りだったり疲労だったり、とにかくそういう形の反動がくる。完全にダメという気分ではないけれど、楽しいとかうれしいとか、とにかく満足できる気分とも程遠くて、それを埋めるためにあと一つ必要なピースが足りてない感じ。

 

この感覚は大学に入ってから人生の中で時々訪れるようになって、ある意味それが生活の中で一番と言ってもいいほど大きな悩みになっているのかもしれない。死に至るほどの感情ではないけれど満足でもない。私は多分満ち足りた気持ちでいたいみたいな欲求がすごく強くて、少しでも「なにか欠けてる感」があるとその欠けているという感覚の方に引っ張られていってしまうんだと思う。私が一番尊敬している人が、悲しくなったり不安になったりするのは当たり前、自分たちみんな人間だから、と言ったことがあって、それはそれで腑に落ちたけど、かといってそういう感情とどうやって向き合えばいいのか、どうやってそれをうまくごまかして生きていけばいいのかということは分からなくて戸惑ってしまう。彼がそう言ったときに質問しておけばよかったけれど、その時は人の言葉を聞いて理解して頭の中に収めるので精一杯なくらい精神的に落ち込んでいたので質問するエネルギーがなかったんだよな。今だって質問できないわけじゃないけれど、お互い母国語が違って違う国に住んでる中でLINEとかメッセンジャーとかでそんな話をしたくない。目の前にいて話ができたらそれが一番いいけどそれもできないから仕方なくて自分で答えを探すしかない。

 

好きなはずのことをやっても楽しめなかったり、生活の些細なことが負担になったりすると、本当にどうやって生きていけば...?という気分になってしまうよ。眠れば考えるのをやめることはできるけれど、眠って過ごした時間のことを非生産的だと思ってしまって結局落ち込むことになる。それでも生きていくしかないというか、そういう気分をなんとかうやむやにごまかして大丈夫な気持ちになれるまで時間を潰すしかないということが分かってはいるけどそれが一番大変。生きるのが一番難しい。ただこの場に生きて存在しているということが一番難しい。