文章を書く練習がめちゃくちゃ三日坊主になる

文章を書く練習をしようと思ってブログを始めたのに、毎回三日坊主におわり全然続かないままここまで来ている。継続するのが下手というわけではなくて、継続するのはむしろ得意な方なのに、それでも続かないのは多分「毎日やろうと決めたこと」が多すぎるせいだと思う。運動とか、瞑想とか、勉強とか、毎日やることにしていることがたくさんあって、その中にどう「文章を書く練習」をねじ込んだらいいのかわからない。

 

昔の人は、今の人よりも「毎日あれをやらなきゃ、これをやらなきゃ」という気持ちに焦ることなく生きていたんじゃないかと時々考える。ネットが普及したことのネガティブな側面というか、SNSで「毎日〇〇を続けたらこんないいことがありました」という情報をたくさん目にするようになったから、自分も努力して今より痩せてる自分とか今より賢い自分とかにならなきゃいけないような気がしてくる。

 

それが嫌ならSNSを見なければいいというのは確かにその通りで、もっともなんだけど、情報収集のために使わざるを得ない部分もあって、SNSをすっぱりやめるという決断にはなかなか至らずにいる。

 

毎日やらなきゃいけない気がすることのひとつに運動があるけど、もしSNSがなかったら同年代の美しかったりかわいかったりする女性たちを目にすることもなく、自分の身体をここまで意識することもない人生を送れたかもしれない。毎日毎日今日も食べ過ぎてしまったなとか今日も甘いものを摂りすぎてしまったなとか罪悪感を抱きながら生きている。そんなことしなくても全然いいのになと思っている自分と、社会の美の規範から外れたくない、外れているとしても規範に沿う努力はしていると思われたい、みたいなことを考えている自分とがいる。

 

田舎の祖父の家に行くたびに、もしここに住んでSNSもやらずにいたら、今みたいに毎日運動しなきゃと思ったり食生活を後悔したりしただろうかと考える。太りすぎてはいなし、健康な身体があるのに、ダメ出しし続けている意味がわからない。そう思う一方で、いやでも痩せたらいいことあるかも、みたいな曖昧な展望を抱いて私をダイエットに向かわせようとする自分もいる。何年もずっとこう。

 

食べるのが好きだし食事を楽しむ才能がこんなにもあるのに、望むままに食事を楽しむ自分を恥じているというか、よくは思っていない自分がいて、バカみたいだなとも時々思う。来世があるとしたら、そのときはもうありとあらゆる体型の人がみんなお互いの体型に干渉せずに好き勝手生きていて、顔が丸かろうと足が太かろうと二の腕がむちむちしていようと腹筋が割れていなかろうとどうでもいい、という感じになっていてほしい。そしたら私は健康的である限り好きに食事を楽しんで丸い顔でにこにこしながら愉快に生きていくと思う。