10月1日が好きじゃない

10月1日が好きじゃない。

私にとって10月1日というのは大学の秋冬学期の初日という意味がある。小学校の頃から新学期の初日が大嫌いで、学校なんか行かずにずっと家で過ごせたらいいのにとよく思っていた。親しい友達は少ないとはいえいたし、勉強が嫌いだったわけではなくむしろ勉強は好きで(だから大学院まで進むことになってしまった)、ただ学校という場がどうしても自分にとっては居心地よく過ごせない場だから行きたくなかった。

小学校から高校までの「学校」という場に比べると大学はもっと自由な雰囲気のある場所だから、新学期の苦痛は軽減されるかもなんて大学1回生の頃は思っていたけれど、全然そんなことはなかった。そもそも自分の席が決まっていないというのが私にとっては苦痛だったし、パーソナルスペースを十分に確保できない環境で見知らぬ他人と近くに座りながら授業を受けなければならないこともストレスだった。場所とかスペースに対するこだわりがちょっと過剰なので、自分の席、と決まっている場所が確保されていないと落ち着かなくなってしまう。

そういう自分だけの場所を確保できるという意味で言うと、高校の頃が一番楽だった。席と席の間にちゃんと適度な間隔があって、パーソナルスペースがちゃんとあるという感覚が持てた。ハンカチと水筒を机の上に出しておきたいというこだわりもちゃんと満たせる環境だった。

こういう場所的なこだわりがなぜ強いのかは自分でも分からないし、他人はもっと分からないだろう。精神科の先生には自閉的傾向があるのかもと言われたけれど、まだ検査を受けていないのではっきりとは分からない。

場所についての話をこんなに長く書くつもりはなかった。10月1日が嫌いという話をここに書いておきたいというのが今日ブログを書こうと思ったきっかけだった。

話を元に戻すとして、10月1日が苦手なのは、2年前のこの日から鬱が始まったからだ。私は大学3回生で、秋冬学期の初日で、昼休み後最初の授業を受けようと講義室にいた。授業開始時刻よりもうんと早く教室に入るのが好きなのでその日もそうしていて、時間が経つにつれて徐々に他の学生がやってきた。あまり広くはない講義室がほぼ満席になるくらいの数になった。

自分のあたりを見回して、たくさんの学生がそのひとつの講義室に詰め込まれておしゃべりをしているのを目にした途端、私はもうここへは来られない、と思った。大学には2年半以上も通っていて、講義室の様子なんか何度も見てきて慣れているはずなのに、急にその環境がとんでもなく不快で恐ろしく居心地の悪い場所に思われて、とにかく今すぐ教室を出て家に帰って布団にくるまりたいと思った。もうここにいたくない、ここに来たくないという思いがあまりにも強かったというか、もう私には無理だという確信のようなものがあって、その感情があまりにも激しいものだったのでとりあえず母に電話をした。けれど私も母ももう昼休みが終わるところで、私は授業に、母は仕事に戻らなければならなかったので電話で話せたことはほとんどなかった。

その日から学校に行くこと、学校にいることがものすごい勢いで無理になっていき、気が付いたら鬱になっていた。毎日泣いて、死にたかったし学校なんて本当に行きたくなかった(というより行ける状態ではなかった)けれど、親から授業料や生活費を支援してもらって学校に通えているのだ、この社会には大学に行きたくてもいろんな理由で行けない人もいるのだから通えるだけでも自分は恵まれている、と思うと休むわけにも行かず、鬱だったけど秋冬学期は(それまでの2年半と同じように)皆勤賞で毎日学校に行きすべての授業に出席した。熱が出ていたときも休まなかった。多分一度休むともう一生行けなくなってしまうと思っていて、それが怖かったのかもしれない。学校に行きたくなかったんだから、学校に行けなくなることを怖がる必要はなかったような気もするけど、多分そのときはここで休んだら終わりだという気持ちだった。

今はもう(ありがたいことに)記憶が薄れた部分もあって当時のつらさを完全に思い出せるわけではないけれど、自分の人生の中では恐らく一番苦しい時間が続き、秋冬学期が終わって休学を決めるまで本当にしんどかった。今は鬱はほぼ治っているとはいえ、鬱をきっかけに自分のメンタルやその他諸々の問題に気付いてしまい、自分がいかに弱いか、問題を抱えているかということに思いを馳せるともう今後の人生を真っ当にしっかり生きていけるという自信も確信もなくて、ただただもう何もしたくないしこれからずっと永遠に夜が続いて人々は眠っていて私も横になって静かにしていていいことになったらいいのにと思う。

とにかく10月1日は鬱の始まりであり、気付かない方が幸せだった問題に気付く羽目になったきっかけであり、全然明るい意味を持たない。だからといって私が今後の人生でずっと10月1日を避けられるかと言ったらそんなことはまったくなくて、当然だけど今年も10月1日がやってきた。大学最後の新学期。大学が始まるのが嫌すぎて9月30日は最低の過ごし方をしてしまったし、日付が変わって10月1日になり午前2時を回ったところだけれど私はまだベッドに入れずブログを書いたりなんかして夜更かしして、今日という一日を台無しにしようとしている。10月1日は苦手だ。この先好きになれる、もしくはせめて10月1日を迎えても平穏に過ごせる日が来るんだろうか。私は学校が苦手なのに勉強はまあまあ好きで、大学院への進学もきめてしまったりして、もう本当に自分でもやっていることがおかしいと思う。小学校の頃から学校が苦手だと言い続けてきたのに、また新しい学校をわざわざ受験して入学しようとしていて、本当に訳が分からない。今年の10月1日は授業がないので大学に行かなくてもいいんだけど、2日は授業があるので慣れるためにも今日学校に行くべきだろうか。返さないといけない本もあるし。学生がたくさん乗っているバスに乗ると多分また走って逃げたい衝動に駆られてしまうので、歩いていこうと思う。50分かかるけど、コロナのおかげで公共交通機関をできるだけ利用せず歩いてなんとかするというライフスタイルと体力が身についたのでなんとかなるかもしれない。なんとかなって欲しい。着る服を考えたりメイクしたりするのはとにかく面倒だけど、とりあえず大学に行ってみて、また逃げ帰りたくなるかどうか確かめてこようかと思う。