理想的なすみか探しが難しい

法事があって、九州の田舎にある祖父宅に来ている。毎日とても静か。植物の生命力が地元のそれとは全然違う。同じ木でも、地元のそれの方がもっとおとなしくこじんまりして見える。太陽輝く南部の自然はこんなものかと感じさせられて、ただ近所を散歩しているだけでも見飽きない。

田舎なので、車社会ではあるけれど、大きな通りからはひっこんだ場所に家があるので、車がひっきりなしに通ってうるさいということもない。家の一軒一軒の敷地がやたら広く、互いに離れているので、近所の生活音もほとんど聞こえない。

人口の音は少ないけれど自然の音が多いから、静かすぎもせずちょうどよく集中できるような場所だと思う。それだけ考えれば、将来こっちに引っ越してくるのもありかなと思ったりもするが、ここにずっといると野心というか、もっと頑張ってもっといい生活を手に入れよう、みたいな気持ちもなくなりそうな気がする。生活にかかるお金が少なくて済むので、そこまで頑張らなくても生きていけるのかもしれない。よくも悪くも。

都会、とまではいかなくても、それなりに栄えた町に住んでいると、やはり刺激は多い。そういうものをうまく使えばモチベーションは保てるし、物事への興味をもったりその対象に比較的簡単にアクセスしたり、ということもできる。

大都会に住みたいという気持ちはまったくないし、大都会暮らしが向いていないことも分かったので、都会は候補から外せるものの、理想の居住地を見つけるのは本当に難しいと思う。適度に街中にアクセスがいい方が望ましいし、けれど静けさも魅力的で、とはいえ車を持つ気がないのである程度の足も必要で、お金はあまりない。いろいろな場所を試してみてひとつに決める、というのができたらいいけれど、それも厳しいし。

とりあえず実家から出たいという気持ちがあるのは確かで、それが第一目標と考えると、やはり最初はある程度不便で自分の理想にマッチしないところでも、費用の低さを優先して住まなければならないのかもしれない。おそらくフリーランスで働くことになるので、賃貸の審査に通りにくそうだと思うと悩ましい。そう思うとやはりいずれは祖父の家に住むのが一番現実的だけれど、手放しで喜べる環境でもないので、どうしてもいつかはどこか他の場所に暮らすことになるのかもしれない。そんなことを考えていたって、まだ仕事がない以上考えても仕方がない。まずは仕事を取って貯金できるようにがんばろう。

家族は難しい

法事があるので、母方の祖父宅に来ている。祖父との折り合いが悪いので、肝心の母はおらず、父と二人。祖父は自覚すらしていないだろうけど、典型的な昭和の九州男児なので、基本的に女性が家事とか男性の世話をするのは当たり前だと思っているようなところがある。だから私や母があれこれ世話をしてももちろん「ありがとう」なんて言わないし、むしろいろいろと文句をつけてくるけれど、父には頭を下げるので、ばかばかしくなってくる。

 

祖父宅に泊まるときにいつも使う部屋に布団を二組並べて敷いて横になり、電気を消してから少し父と話をした。うちの家族には大変難しい病気をもつ人間がいて、話は主にその家族についてだった。父にとっては子どもにあたる。自分の子どもがどんな病気になる可能性があるか、その病気をもって過ごすとか、その人の世話をするのがどんな感じかとか、すべてを完全なリアリティをもって理解できている今若いころに戻るとしたら、それでも子どもを持ちたいを思うか、と聞いたら、持たないかもしれないという答えだった。これがとてもありがたかった。

 

もう一人の子どもである私からそういう風に質問されたとき、人によっては私に忖度して、それでも子どもを持っただろうと答えるかもしれないと思ったけど、忖度されなくてよかった。そういう気遣いは必要としていなくて、ただ率直な気持ちを知りたかったので、その目的が達成されて満足している。私も自分の育った経験からは、とてもじゃないけど子どもを持つなんて大変なリスクは負えないと思っているから、父が同じように感じていると知れて、自分の気持ちは間違いではないのかもしれないと思えた。

 

比較的高齢で結婚して、比較的高齢で子どもを持ち、笑顔とやさしさにあふれた家庭を築きたいと思っていた父が、その願いを叶えられなくて本当にかわいそうだと思う。かわいそうと言うとなんだか他人事みたいというか、表現としてしっくりこない部分も少しあるけど、父の願いが叶えばどれだけよかっただろうと思う。私にとってよかった、よくなかった、ということでは全然なくて、本人にとって。

 

せめてもうひとりの子どもたる私がもっと優しくしてあげられたらいいのだと分かっているのに、私が未熟なせいで基本的に毎日それに失敗していて、申し訳なく思う。一緒に過ごせる時間が限られていることを感じることが多くなって、それが少し怖い。せめて、毎日少しでも優しくできるように努力していくことしかないのだと思う。後悔なく誰かを見送ることなんてできるんだろうか。これまで一緒に過ごしてきたペットたちだって、毎回この子には与えられる限り最高の人生を与えようと思っているのに、見送るときには必ずもっとしてあげられたことがあったはずだと思って悲しくなる。

 

まあそれでも後悔のない見送りは無理だとしても、できる限りのことを毎日やり続けて諦めない、投げ出さない、というのが、結局はできる最善なのかもしれない。もっといい人間になれるようにがんばろう。

文章を書く練習がめちゃくちゃ三日坊主になる

文章を書く練習をしようと思ってブログを始めたのに、毎回三日坊主におわり全然続かないままここまで来ている。継続するのが下手というわけではなくて、継続するのはむしろ得意な方なのに、それでも続かないのは多分「毎日やろうと決めたこと」が多すぎるせいだと思う。運動とか、瞑想とか、勉強とか、毎日やることにしていることがたくさんあって、その中にどう「文章を書く練習」をねじ込んだらいいのかわからない。

 

昔の人は、今の人よりも「毎日あれをやらなきゃ、これをやらなきゃ」という気持ちに焦ることなく生きていたんじゃないかと時々考える。ネットが普及したことのネガティブな側面というか、SNSで「毎日〇〇を続けたらこんないいことがありました」という情報をたくさん目にするようになったから、自分も努力して今より痩せてる自分とか今より賢い自分とかにならなきゃいけないような気がしてくる。

 

それが嫌ならSNSを見なければいいというのは確かにその通りで、もっともなんだけど、情報収集のために使わざるを得ない部分もあって、SNSをすっぱりやめるという決断にはなかなか至らずにいる。

 

毎日やらなきゃいけない気がすることのひとつに運動があるけど、もしSNSがなかったら同年代の美しかったりかわいかったりする女性たちを目にすることもなく、自分の身体をここまで意識することもない人生を送れたかもしれない。毎日毎日今日も食べ過ぎてしまったなとか今日も甘いものを摂りすぎてしまったなとか罪悪感を抱きながら生きている。そんなことしなくても全然いいのになと思っている自分と、社会の美の規範から外れたくない、外れているとしても規範に沿う努力はしていると思われたい、みたいなことを考えている自分とがいる。

 

田舎の祖父の家に行くたびに、もしここに住んでSNSもやらずにいたら、今みたいに毎日運動しなきゃと思ったり食生活を後悔したりしただろうかと考える。太りすぎてはいなし、健康な身体があるのに、ダメ出しし続けている意味がわからない。そう思う一方で、いやでも痩せたらいいことあるかも、みたいな曖昧な展望を抱いて私をダイエットに向かわせようとする自分もいる。何年もずっとこう。

 

食べるのが好きだし食事を楽しむ才能がこんなにもあるのに、望むままに食事を楽しむ自分を恥じているというか、よくは思っていない自分がいて、バカみたいだなとも時々思う。来世があるとしたら、そのときはもうありとあらゆる体型の人がみんなお互いの体型に干渉せずに好き勝手生きていて、顔が丸かろうと足が太かろうと二の腕がむちむちしていようと腹筋が割れていなかろうとどうでもいい、という感じになっていてほしい。そしたら私は健康的である限り好きに食事を楽しんで丸い顔でにこにこしながら愉快に生きていくと思う。

最近のいろいろ2

ここ数日精神的な体調があまりよくない。日曜の夜に家族からかかってきた電話で本来ならなんともないはずのことを言われたのがなぜかトリガーになってしまったようで、それ以降ずっとぐずぐず泥の中にいる。ほんのあれっぽっちのことが…?と思うようなことが不調のトリガーになるので本当にいつどういうふうに不調が訪れるかまったく予想できなくて困る。寒くて日照時間の短い冬が苦手なので季節のせいで落ち込みやすいというのはあるけど。

 

今よりうんと精神の体調が悪かった2年前のことを考えると、当時よりはましなのだから頑張らなくちゃとは思うけれど頑張れず、頑張れない自分にまたがっかりして落ち込むというサイクルを本意ではないとはいえ器用にぐるぐると回している。こういう状態になるのは決して初めてではなくて、これまでに何度も何度も経験してきたはずなのに過去にどうやってここから脱け出していたのか思い出そうとしてもまったくなにも思い出せず、全然役に立たない。こういう不調がどのくらい続いて、その間どういうことが頭に浮かんで、結局何がきっかけで立ち直れたのかということをメモしておいたらいいんだろうけど、なにせ不調な時はメモを取るなんて作業はとてもできないのでどうしようもない。

 

一日一日を台無しにするのはやめようと思ってなんとか学校に来てはみたものの、脳みそが完全に機能を停止しているので結局何もできなくて、朝から少し卒論を手直ししてお昼を食べてだらだらしているうちに昼過ぎになってしまった。落ち込んでいることに加えてもとから自己肯定感が低すぎるせいで、少しでもハードルの高い作業を課されると脳みそがそんなのできる訳ないじゃん!?とパニックになって一瞬でスリープモードに入ってしまう。本当は脳みそを眠らせている場合なんかじゃなくて、揺り起こして取り掛からなくてはいけないことがあるのに、私よりも私の脳みその方がよっぽど素早くて頑固なのでいつも負けている。落ち込みやすさ、自己肯定感の低さ/自信のなさ、心配性の三つ巴がよくないらしいと最近思いつつある。少しでも難しいと感じる作業に直面したとき、こんなのできるわけがないと脳みそがかなり早々に諦め、パニックになってシャットダウンしちゃうから全然作業が進まないし、それに落ち込むし、こんなんじゃダメだと不安になる。

 

最近の不調もまあ多分卒論の締め切りが近いのに思うように進んでいないことと、来年からの進路に対する不安というか確信のなさと、コロナ禍によりもたらされた閉塞感みたいなものが一体になって引き起こされているような気がする。

精神的に不調になったとき、いつも同じ体調なのではなくて不調という状態の中にもいくつかのパターンがある気がするけど、今回は情報過多とそれによるパニック・ストレス・不安みたいな傾向が強い。ストレス下にあるとき本当はなにも考えたくないのに、脳が暴走して起きている間中ずっと勝手に情報を拾ったり喋ったりしている感じ。頭をいい意味で空っぽにするというかクリアにすることがうまくできなくて、普段なら音楽を聴きながら長い散歩をすればいい具合に頭が冴えるのに今は全然ダメで、むしろ考え事や情報がめちゃくちゃに溢れて脳がパンクしそうになってしまう。パニックになりそうになると涙が出そうになったり過呼吸になりそうになって危ないので、脳がクールダウンしてくれるのが一番いいんだけどそれができない。

 

割といつも不安と疑念で頭がいっぱいなので、こうでなければもっと生きることを楽に感じただろうかと考えてしまうし、そうする方法があればいいのにとも思う。二十数年の人生をまあまあそのときできる限りの努力と誠実さをもって生きてきたつもりではあったけれど、最近はこれまでの人生でしてきた選択のすべてが間違っていたような気もして、明確にどの選択がどういうふうに間違いだった、ということは分からないけれど自分がしてきた誤った選択の数々が今の自分のおかしくなったところを作ってきたのかとも思う。

自分が理想とする頑張りができていた頃のことを思うと懐かしくもあり惜しまれる気持ちもあるけれど、当時は当時で今よりうんと分別がなく、盲目的で世間知らずだったのでそれもそれでどうかなと思う。あの頃に戻りたい、という訳ではないけれど、体力と気力が今よりもあって、自分が自分に求める努力ができていて、昼にうんと活動して夜にぐっすり眠る生活ができていたのはいいことだったし、もうそれができる日が来ることはないという気がするのでやっぱり懐かしい。

 

年末に休みが取れるのはうれしいけれど、年が明けたらまた新しい一年が始まってはいまた一年頑張ってとなるのがしんどい。毎年毎年一年間頑張っても(当然とはいえ)すぐに新たな一年が始まって、またこの一年も頑張らなくちゃいけないのか…と思うとどっと疲れるしおめでたい気分にはならない。賽の河原で石を積み上げては鬼に崩されるのってこういう気持ちかなと思ったりもする。それでもひとつの区切りがあってダメダメな生活を立て直すチャンスが与えられることにはありがたく思うべきなのかも。2021年はせめて今年よりもっとちゃんと頑張るべきことを頑張れたらいいな。

10月1日が好きじゃない

10月1日が好きじゃない。

私にとって10月1日というのは大学の秋冬学期の初日という意味がある。小学校の頃から新学期の初日が大嫌いで、学校なんか行かずにずっと家で過ごせたらいいのにとよく思っていた。親しい友達は少ないとはいえいたし、勉強が嫌いだったわけではなくむしろ勉強は好きで(だから大学院まで進むことになってしまった)、ただ学校という場がどうしても自分にとっては居心地よく過ごせない場だから行きたくなかった。

小学校から高校までの「学校」という場に比べると大学はもっと自由な雰囲気のある場所だから、新学期の苦痛は軽減されるかもなんて大学1回生の頃は思っていたけれど、全然そんなことはなかった。そもそも自分の席が決まっていないというのが私にとっては苦痛だったし、パーソナルスペースを十分に確保できない環境で見知らぬ他人と近くに座りながら授業を受けなければならないこともストレスだった。場所とかスペースに対するこだわりがちょっと過剰なので、自分の席、と決まっている場所が確保されていないと落ち着かなくなってしまう。

そういう自分だけの場所を確保できるという意味で言うと、高校の頃が一番楽だった。席と席の間にちゃんと適度な間隔があって、パーソナルスペースがちゃんとあるという感覚が持てた。ハンカチと水筒を机の上に出しておきたいというこだわりもちゃんと満たせる環境だった。

こういう場所的なこだわりがなぜ強いのかは自分でも分からないし、他人はもっと分からないだろう。精神科の先生には自閉的傾向があるのかもと言われたけれど、まだ検査を受けていないのではっきりとは分からない。

場所についての話をこんなに長く書くつもりはなかった。10月1日が嫌いという話をここに書いておきたいというのが今日ブログを書こうと思ったきっかけだった。

話を元に戻すとして、10月1日が苦手なのは、2年前のこの日から鬱が始まったからだ。私は大学3回生で、秋冬学期の初日で、昼休み後最初の授業を受けようと講義室にいた。授業開始時刻よりもうんと早く教室に入るのが好きなのでその日もそうしていて、時間が経つにつれて徐々に他の学生がやってきた。あまり広くはない講義室がほぼ満席になるくらいの数になった。

自分のあたりを見回して、たくさんの学生がそのひとつの講義室に詰め込まれておしゃべりをしているのを目にした途端、私はもうここへは来られない、と思った。大学には2年半以上も通っていて、講義室の様子なんか何度も見てきて慣れているはずなのに、急にその環境がとんでもなく不快で恐ろしく居心地の悪い場所に思われて、とにかく今すぐ教室を出て家に帰って布団にくるまりたいと思った。もうここにいたくない、ここに来たくないという思いがあまりにも強かったというか、もう私には無理だという確信のようなものがあって、その感情があまりにも激しいものだったのでとりあえず母に電話をした。けれど私も母ももう昼休みが終わるところで、私は授業に、母は仕事に戻らなければならなかったので電話で話せたことはほとんどなかった。

その日から学校に行くこと、学校にいることがものすごい勢いで無理になっていき、気が付いたら鬱になっていた。毎日泣いて、死にたかったし学校なんて本当に行きたくなかった(というより行ける状態ではなかった)けれど、親から授業料や生活費を支援してもらって学校に通えているのだ、この社会には大学に行きたくてもいろんな理由で行けない人もいるのだから通えるだけでも自分は恵まれている、と思うと休むわけにも行かず、鬱だったけど秋冬学期は(それまでの2年半と同じように)皆勤賞で毎日学校に行きすべての授業に出席した。熱が出ていたときも休まなかった。多分一度休むともう一生行けなくなってしまうと思っていて、それが怖かったのかもしれない。学校に行きたくなかったんだから、学校に行けなくなることを怖がる必要はなかったような気もするけど、多分そのときはここで休んだら終わりだという気持ちだった。

今はもう(ありがたいことに)記憶が薄れた部分もあって当時のつらさを完全に思い出せるわけではないけれど、自分の人生の中では恐らく一番苦しい時間が続き、秋冬学期が終わって休学を決めるまで本当にしんどかった。今は鬱はほぼ治っているとはいえ、鬱をきっかけに自分のメンタルやその他諸々の問題に気付いてしまい、自分がいかに弱いか、問題を抱えているかということに思いを馳せるともう今後の人生を真っ当にしっかり生きていけるという自信も確信もなくて、ただただもう何もしたくないしこれからずっと永遠に夜が続いて人々は眠っていて私も横になって静かにしていていいことになったらいいのにと思う。

とにかく10月1日は鬱の始まりであり、気付かない方が幸せだった問題に気付く羽目になったきっかけであり、全然明るい意味を持たない。だからといって私が今後の人生でずっと10月1日を避けられるかと言ったらそんなことはまったくなくて、当然だけど今年も10月1日がやってきた。大学最後の新学期。大学が始まるのが嫌すぎて9月30日は最低の過ごし方をしてしまったし、日付が変わって10月1日になり午前2時を回ったところだけれど私はまだベッドに入れずブログを書いたりなんかして夜更かしして、今日という一日を台無しにしようとしている。10月1日は苦手だ。この先好きになれる、もしくはせめて10月1日を迎えても平穏に過ごせる日が来るんだろうか。私は学校が苦手なのに勉強はまあまあ好きで、大学院への進学もきめてしまったりして、もう本当に自分でもやっていることがおかしいと思う。小学校の頃から学校が苦手だと言い続けてきたのに、また新しい学校をわざわざ受験して入学しようとしていて、本当に訳が分からない。今年の10月1日は授業がないので大学に行かなくてもいいんだけど、2日は授業があるので慣れるためにも今日学校に行くべきだろうか。返さないといけない本もあるし。学生がたくさん乗っているバスに乗ると多分また走って逃げたい衝動に駆られてしまうので、歩いていこうと思う。50分かかるけど、コロナのおかげで公共交通機関をできるだけ利用せず歩いてなんとかするというライフスタイルと体力が身についたのでなんとかなるかもしれない。なんとかなって欲しい。着る服を考えたりメイクしたりするのはとにかく面倒だけど、とりあえず大学に行ってみて、また逃げ帰りたくなるかどうか確かめてこようかと思う。

 

最近のいろいろ

年を取ったなと思う。なんとなく体が重いとか、起きたばかりなのに疲労感がすごいとか、深刻な病気を抱えているわけではないけれど10代の頃のような完全に元気!という状態はもう最近はずっとなくて、体力の衰えを感じるのは思ってたよりうんと早かった。20代前半ってこんな感じなのか?

 

多分自律神経がおかしくなってしまっていて、変な微熱がずっと出ていたりとにかく体がだるかったりする。昔病院で相談したことがあるけれど、なんか特になにもしてもらえなかったので、そういうものなのかなと思って放置してしまっていてよくないとは思う。基本的に過去を懐かしむことはないけれど、今思えば10代の頃は体力的にはやっぱりピークでピンピンしてたなと思うと、もう一回あの頃に戻って体力がフルにチャージされている状態を体験したいなという気はする。

 

去年の秋にブログを作って1年たったけど、結局ほとんどなにも書かないまま1年近くが過ぎた。コロナが流行るとか進路が決まったとか飼っていた猫が亡くなったとか、1年前と違うところはいくつかあるけれどせいぜいそれくらいか。あとは髪を短く切った。体力がとにかく落ちてきているので、日記でもブログでも書くのに一苦労という感じになってしまっている。文章を書くのがうまくないから書こうとするだけでまあまあ労力を使うし、その日あった出来事とかそのときの自分の感情の動きとかに向き合うのも精神的に疲れる。昔、特に高校生の頃はそういう自分自身に向き合う作業こそが大切だと思っていて、ひたすら内省に励む毎日を送っていたけれど、それをやりすぎるとメンタルの調子を崩すということに気付いたので今はもう頑張らない。内省は意識しなくてもできることで、むしろ人と関わる方に意識を向けないと自分の場合はダメだなと去年あたりから思っている。もう少し若かった頃と比べたら、他人との関わり方はうまくなったというか、とにかく他人を避けたい、みたいな気持ちは薄くなったような気がする。気が合う人と長く付き合えたらそれでよくて、友達をたくさん作る必要は自分にはないし、付き合いの長い友達だとしても自分を尊重してくれない人だとしたら付き合いをやめていい、と思う。

 

来年からまた新しい学校に通うことになって、でもそれが東京だから大阪から引っ越さなければいけないのがとにかく悲しい。大阪出身ではないけれど関西に近い西日本の生まれなので、やっぱり西の雰囲気とか人が自分には合っているし、なんとなく東は怖い。大阪に住んで5年になるのに、交通の便が悪いところに住んでいるせいでほとんど遊べなかったのが心残り。お金がなくて交通費があまりかけられなかったので仕方ないけれど、もっといろんな場所に行けばよかった。京都とか奈良とか神戸とかもまあまあ近いし、観光するべきだった。

 

最近いつも通りにごはんを食べていてもお腹がすくので秋が来たんだなとわかる。毎年秋になるとお腹がすくので動物らしくて面白い。窓開けたままお昼寝したり長袖のパジャマ着たりセブンのかぼちゃプリン食べたりしたい。秋の到来はうれしいけれど、2020年があと3ヵ月ちょっとしかないと思うとやっぱりちょっと不満で、コロナがない2020年をやり直したいような気もする。そこまで出好きというわけでもないのに、外出が制限されるのは案外それなりにストレスで慣れるまでは大変だったし、慣れたと思っても時々ストレスの波がワーッと来る。コロナがなかったら秋に旅行したかった。心身が疲れているので観光よりも休養がしたい。紅葉が楽しめて温泉が出て空気がきれいなところに宿をとって連泊して、スマホはあまり触らないでごろごろしたり本を読んだり散歩したりしたい。日が明るいうちから温泉に入るのもいいし。

 

年を取って物理的な体力がなくなってきたというのもあるけれど、それと同じくらいメンタルの調子を良好に保つのも難しくなってきたというのも痛いほど感じる。特に何が大変という訳でもないのにうまく眠れなかったり落ち込んだり、言葉で説明できないけれどなぜか朝起きたその瞬間からぐったりしていたりして、メンタルの不調を日常の一部として持つことが当たり前になりつつある。鬱になったとき、メンタルの不調についての知識が全然なくてこれが治ったらまた前みたいにピンピン元気!という状態になれるのかなとか思っていたけれど、そんなことは全然なかった。鬱という精神の不調がバーン!!と急にきて、時間が経つとともにそのでかい不調の塊がボロボロ崩れていって小さくはなってくれたけれど、完全になくなることはなくて毎日生きる中で時々顔を出す。最初ははっきりした理由が説明できないのに不調になる状態が許しがたくて、自分自身にがっかりしたり怒りを抱いたりもしていたけれど、その状態が続く中でこれはもう付き合うしかないんだなということが理解できつつある。不完全な人間としてそういう訳の分からない不調があるのも仕方なくて、それをなくそうと躍起になるよりはそれといかにうまく付き合っていけるかを探していった方が建設的で現実的なんだと思う。人間として生きている以上仕方がなくて、だましだましやっていくしかない。眠りの助けにしようとハーブティーを買ったりアロマを焚いたり寝る前に明かりを落としたりするたびに、その行為なしでも元気に生きられていた頃の自分が懐かしくなったり今の自分を恥じたりもしていたけれど、その頃に戻る方法はなくて、だから諦めて今の人生を少しでも楽にするために努力するしかないなと思うし、今はそういう自分にあまり傷つかなくもなった。多分それはいいことなんだと思う。

欲しいものをちゃんと買いたい、大学に行きたい、お母さんの揚げ物が食べたい

シャンプーもコンディショナーもトリートメントも全部同じタイミングでなくなりそうで、新しいものを買わなきゃと思ってドラッグストアに行った。前から気になっていたブランドがあって、香り見本がすごくいい香りだったのでそれが買いたいなとわくわくしていた。値段は分からなかったけれど、生活に必要なものだし前から欲しかったので買っちゃおうという気分だった。15%オフのクーポンも持っていて強気な気持ちだった。

いざドラッグストアに着いてシャンプーの並ぶ棚の前に立ち、買おうと思っていたメーカーの商品の値段を確かめると、490mlで1400円。案外するんだな、でもシャンプーの値段ってこんなもんだっけ、と思いながら、ちなみに今まで使ってたものはいくらなんだっけ、とこれまでずっと使い続けてきたメーカーのものを見てみると、同じ容量で800円くらいだった。半額ちょいくらい。半額ちょい、と考えるともうダメだった。お金がないから、高めのシャンプーを買うよりもまず節約をするべきなんだった。差額の600円で買えるであろういろんなものが頭に浮かぶ。600円あれば、スーパーで野菜が数種類買える。600円あれば、よく料理に使う1/2カットのかぼちゃと3本入りの茄子、トマトのパックくらいは買える。見切り品コーナーに時々ある80円のほうれん草も。

結局のところ、600円で買える野菜が買いたかったシャンプーに買ってしまったのでシャンプーは買わずに帰ってきた。コンディショナーとトリートメントも。私はこういうふうになりがちだ。なにかを買おうと思ってお店に行っても、それを本当に買う必要があるのか、買わなくても生活できるんじゃないか、もっと節約できる買い物の仕方をするべきなんじゃないかと考え始めてしまって、買い物に行く前はわくわくしていたのに結局何も買えずに家に帰ることになる。お金に対する危機意識というか、お金がなくなったときのことがすごく不安になってしまうときがあって、買い物ができなくなってしまう。良くも悪くもではあるけど、通販の方が買い物はしやすい。通販だとカード払いで、現金が自分のもとから消えていく感覚が薄いからかな。

自分の欲しかった高めのシャンプーを買うことは諦めたとはいえ、シャンプーの在庫がないことにはかわりないので、結局またドラッグストアに行かなくちゃいけない。15%オフのクーポンの有効期限が2日後までだし。5%オフのクーポンも持っているけれど、併用はできないから結局数日に分けてすべてのクーポンを使えるようにちまちま買い物をするしかない。

あのシャンプー欲しかったな。きれいで優しい大人のひとが使ってそうな香りがした。私は大人じゃないからそういうシャンプーを買えないのも仕方がないし、今使っているものに特に不満がある訳でもないんだけど、どうしても新しいものに興味が向いてしまうし本当にいい香りだった。あれを買って使えたらわくわくして楽しい気持ちになったんだろうなという感じ。

何十万もするものを買えるようになりたいとはあまり思わないけど、今回諦めたシャンプーみたいなちょっとしたものをちゃんと買えるようになりたい。買い物をするとき、大体数ある選択肢の中から最安値のものを選んで買う生活なので、そこで最安値のものを選ばなくてもいい生活ができるようになりたい。なんでも高ければいいという訳でもないし安くて質がいいものも(ありがたいことに)たくさんあるけど、それでもやっぱり高いものにはそれだけのお金を払う価値があると思う瞬間もたくさんある。帰省したときに親が買ってくれるケーキ屋さんのケーキとか、ハーゲンダッツとか、ちょっと奮発して新調した敷き毛布とか。おじいちゃんが夏になると送ってくれる木箱に入った素麺とか。食べ物が好きだから食べ物の思い出ばかりだけど、ちょっと高いからこのおいしさなんだな、このおいしさはやっぱり最低価格じゃ出せないんだな、と思うことはたくさんあったし、そういうものこそが生活を豊かにしてくれるような気がする。

でも学生である以上なかなかそういう生活は手に入らなくて、バイトをするしかないんだけど、コロナ禍が始まって以来シフトが全然入らなくなってしまった。3月末に定期研修に出て以来一度もバイト先に行ってない。大学に入ってからずっと今のバイト先でお世話になってきたし、職員さんたちもいい人ばかりだし、何より仕事を気に入っているのでできれば卒業までずっと働きたいと思っていたけど、ちょっと厳しい状況になってきてしまった。院試が終わったら新しいバイト先を探そうかな。でも正直バイトの面接を受けるのが気が重い。今の塾講師のバイトは仕事内容のわりに服装規定が緩くて、華美でなければ髪を染めていてもパーマをかけていてもピアスを開けていてもいいしスーツを着なくてもいいけれど、大体どこの塾も髪は黒、スーツ着用でピアスはなし、というところが多い印象がある。勉強を教える仕事でピアスをつけていたらダメ、というのは分かるようでいまいちよく分からない。スーツにこだわるのも、髪色にこだわるのもよく分からない。勤務中に座っていられるというのはプラスポイントだけど。前に派遣の仕事で接客をしていたときは毎日6-7時間ずっと立っていないといけなくて本当に脚がしんどかった。めちゃくちゃむくむし。ピアスも厳禁だったから毎日5つのピアスをつけたり外したりしないといけなくて面倒だったな。接客はもう全然、からっきし、本当に向いていないと分かったので品出しのバイトとかしたい。それか大学構内でできるバイトもいいかな。

なんにせよ3ヵ月近く無職無収入なので働かないと生活が厳しくなるけど、院試が終わる9月までは無理かなとも思う。マルチタスクができないし、もし院試に落ちたらバイトのせいにしてずっとうじうじ後悔しそうで、そうなりたくないので院試終了までは勉強に集中した方がよさそうだ。集中とか言ってみたけど、最近全然勉強を頑張れなくて本当にまずい。勉強が頑張れない自分に半分見切りをつけているというか仕方がないよね、みたいな気持ちになっているのがさらにまずい。こういうとき大学にいけたらな。自分のアパート以外でなおかつお金を払わずに勉強できる場所があればいいんだけど。3ヵ月ずっと自粛の毎日で自分の狭いアパートの中で勉強し続けることに限界を感じてる。田舎だから、ネットが使えるカフェとかファミレスとかが近所にある訳じゃないので、自分の家以外で勉強ができる場所を探すのが本当に難しい。

大学生活は概して全然うまくいかなくてずっと居心地が悪いなと思ってきたので、こういうことを思うことが自分でも意外だけど、大学にいければなと本当に思う。一年休学したから同級生はみんな卒業してもう大学にはいないけど、知り合いがひとりもいないからこそ逆に学校という場にいやすそうな気がする。前よりも居心地よく過ごせるような気がする。普段通りに大学が始まったら始まったで朝起きるのが嫌だとか通学が面倒だとか、大学に行きたくない気分にまたなるのかもしれない(というか多分そうなる)と思うけど、今は自分の家以外の勉強場所が欲しくて、大学に行きたいなとよく思う。先生に気軽に会いに行ける環境も必要だし。

コロナ禍が終わったら(終わりなんていつ来るのか分からないけど)大学に行って、ひとりで勉強したり、大学附属病院のローソンまで出かけて行って昼ごはんを買ったりしたい。うちの大学は校章がイチョウで、構内にも何本もイチョウの木が植わっていて秋になるとどこを見ても黄色、というくらい葉の色付きがきれいなので、それが見たいな。イチョウに限らず、いろんな木がたくさん植わっていてそれが好き。お隣の県に引っ越してきた友達にも会いたい。今年の夏は帰省できるんだろうか。実家に帰ってお母さんにハーゲンダッツを買ってもらいたいし一緒にてんぷらを揚げたい。夜に冷房のきいたリビングで仕事をしているお母さんの隣でTSUTAYAで借りてきたDVDを観ながら猫たちをなでたい。あ~お母さんとてんぷらを揚げたすぎるな。うちの家は揚げ物をつくるときは決まって夕飯で、いろんな揚げ物を大量に揚げるので大抵だれもお米を食べない。自炊は節約になるし料理は純粋に楽しいけど、自分一人のためだけに揚げ物を作ろうという気持ちにはならないし、自分の作る料理はたとえ初めてであっても大体こんな味になるんだろうなという予測がついてしまうので、わくわく感とか目新しさとかそういうものがない。お母さんの料理も20数年食べてきたから味は分かるけど、でも一生飽きることはないと思う。帰省してもお母さんの料理が毎食食べられるわけではなくて、むしろ帰省しているときは夕飯を作るのは私なんだけど、それでもお母さんがぱぱっと作ってくれる料理はなんだっておいしい。自分のためだけに3食作り続ける生活ももう3ヵ月だから自分の料理に本当に飽きてきちゃった。今年の夏ちゃんと実家に帰れますように。